新井耕吉郎氏は、魚池紅茶試験支所の第3代目の支所長で、統治終了時の最後の日本人支所長でした。1945年に太平洋戦争が終結し、新井耕吉郎氏は紅茶試験所の関連業務を国民政府に引き継ぎました。台湾に深い思い入れがあった彼は台湾に残ることを決め、技師となり引き続き台湾紅茶の栽培に貢献しました。1946年に病気で亡くなった際、遺体は改良場で火葬されました。娘の新井玲子は、遺骨を持って日本へ帰る途中、乗った船が事故に遭い遺骨と共に海に沈んでしまい、日本の土を踏むことはありませんでした。紅茶試験支所の従業員は、彼の功績を伝えようと茶園に記念碑を建てたことから、台湾紅茶産業の祖となり、また紅茶発跡地猫囒山の守り神として祀っており、定期的に祭事を行っています。